第1話|私たちは、なぜ二度も仕事を手放したのか。

うまくいっている仕事を手放す。
それも、一度きりではなく、二度もです。

私たちは、自らその道を選びました。

手放したのは、子どもたちの未来に関わる教育の仕事と、
数か月かけて積み上げてきた海外企業との事業提携です。

どちらの事業も、決して失敗したわけではありませんでした。

数字の上でも、実績の面でも、
そのまま走り続ける選択肢は十分にありました。

それでも私は、妻とともにそれらを一度すべて手放す決断をしました。

客観的に見れば、遠回りをして愚かな選択をしているように見えるかもしれません。

ですが、この二つの決断と、その渦中で感じた葛藤のプロセスがなければ、
今の私たちの会社が存在することはあり得ませんでした。

私たちがどうしてその果実に手を伸ばさず、手放すに至ったのか。

その内実をお話ししたいと思います。

家族で軽井沢へ。最初の挑戦。

2025年の春、私たちは家族で長野県の軽井沢へと移住しました。

それまでの私は、証券会社という数字と欲望が交錯する世界で10年間、
市場の最前線に身を置き、
その後、高校の教員として10年間、生徒たちの未来に向き合ってきました。

妻は長年にわたり、社会の現場で一人ひとりの暮らしや心によりそう
福祉の仕事に全力を注いできました。

金融の現場で学んだ、お金と真摯に向き合う視点。

教育の現場で培った、人の人生や可能性を育む視点。

そして福祉の現場で深めた、人の日常を支える視点。

それぞれ異なる場所で真剣に生きてきた私たちが、
軽井沢という豊かな自然が広がる新たな土地で何を起業するべきか。

最初に踏み出した一歩は、
大学の総合型選抜を目指す高校生たちを導く、小さな塾の立ち上げでした。

手探りで始めたその塾に集まってくれたのは、3人の生徒たちでした。

私たちは一人ひとりの言葉にじっくりと耳を傾け、
彼らが何を考え、どう生きていきたいのかを徹底的に掘り下げました。

その結果、3人全員が自らの第一志望校への合格を果たしてくれたのです。

胸が熱くなるほどの達成感と、嬉しい結果でした。

この成功を糧にして、教室を広げ、生徒の数を増やしていけば、
事業としては間違いなく軌道に乗っていたはずです。

しかし、私たちはその塾をたたむという選択をしました。

生徒一人ひとりの内面や人生と深く向き合えば向き合うほど、
私の心の中でひとつの根本的な問いが大きくなり、
どうしても無視できなくなったからです。

「希望する大学に合格することだけが、
この子の人生にとって本当に一番幸せな選択なのだろうか」という問いです。

誤解のないように言えば、目標を掲げ、そこに向かって努力を重ね、
合格という成果を勝ち取る体験には計り知れない価値があります。

それは人生の大きな自信になります。

けれど、合格はあくまで長い人生のひとつの通過点に過ぎません。

その先には、何十年という長い模索の時間が続いていきます。

その大学に通うことが、本当にその子が望んでいる生き方につながっているのか。

社会が提示する既成の枠組み以外にも、
もっとその子の個性を生かせる選択肢があるのではないか。

長年教育の現場に立ち、人の成長を見つめてきたからこそ、
合格実績という数字だけで事業を拡大していくことに、
誠実さを保てなくなってしまったのです。

出せた成果に対して、純粋に喜びを感じていました。

しかし、その成果だけを「事業の成功」と呼んでいいのかという迷いは、
日に日に強くなっていきました。

私たちのこの判断が正解だったのかは、今でもわかりません。

けれど、自分の中に生まれた違和感や迷いをうやむやにしたまま、
次の生徒たちを迎え入れるような生き方はしたくありませんでした。

こうして私たちは、最初の事業に幕を下ろすことにしたのです。

5か月かけた交渉を、白紙に戻す。

次に私たちが挑んだのは、
世界中に眠っている魅力的なプロダクトを探し出し、
日本の人々の暮らしへ届ける輸入事業でした。

海外には、まだ日本に紹介されていない素晴らしい製品や、
生活のあり方を根本から変えてしまうような新しい習慣をもたらす道具が
たくさん存在します。

そうした製品を日本の人々に届けることに、
大きな可能性と高揚感を感じていました。

探究を進める中で、私たちはイギリスのある企業と出会いました。

彼らが作っていた製品は非常に魅力的で、
デザインも機能も洗練されていました。

社長とオンラインで何度も対話を重ねる中で、
彼らが情熱を持ってモノづくりに向き合っていることが伝わってきました。

私たちが持つ実績の少ない小さな会社に対しても、
誠心誠意向き合ってくれる素晴らしいパートナーでした。

交渉を重ねること、約5か月。
細かな契約条件や日本での展開プランが少しずつ形になり、
事業としての現実味が帯びてきました。

ここまで膨大な時間とエネルギーを注いできたのだから、
何としてもこの事業を成功させたいという強い思いがありました。

しかし、契約の調印が目の前に迫り、話が具体的になればなるほど、
私の胸の奥底から消えない問いが湧き上がってきたのです。

「なぜ、私たちがこの商品を日本に届ける必要があるのだろうか」

品質は極めて高い。
海外での評価も実証されている。

日本市場に持ち込めば、売れる見込みも十分にある。

一般的なビジネスの観点から言えば、
始める理由はこれで十分すぎるほど揃っています。

けれど、それだけで本当にいいのだろうか、という思いが拭えませんでした。

この商品を手に取り、使う人はどんな思いで毎日を過ごしているのか。
その人の日常に、どのような温かな変化が生まれるのか。

そして、無数の製品が存在する世界の中で、
なぜ私たちがその製品を扱う必然性があるのか。

何度自分自身に問いかけても、最後の土台となる部分で、
自分自身を心から納得させることができませんでした。

相手の企業にも、製品自体にも、何ひとつ落ち度はありませんでした。

足りなかったのは、他でもない私自身がそのプロダクトを社会に届けるための
「魂の乗った理由」だったのです。

5か月という費やした時間。

積み重ねてきた綿密な協議。
手の中に掴みかけていた事業の収益性。

それらをすべて手放すことに、惜しさがなかったと言えば嘘になります。
ですが、自分自身が100%納得できていないものを、
言葉巧みに取り繕って販売することは、
情熱を持って製品を作った相手企業に対しても、
それを購入するお客様にとっても、到底誠実な姿勢とは言えません。
私たちはその決意と感謝、そして申し訳なさを正直に伝え、
5か月間の交渉をすべて白紙に戻しました。

またしても、ゼロからの振り出しです。

ですが、二度の撤退という痛みを伴う経験を経たことで、
私たちの目指すべき視界は、明確に澄み渡っていきました。

売れるものではなく、届けたいもの。

二つの仕事を手放した理由は、一見すると異なっているかもしれません。
しかし、その根底に流れる本質は完全に同じでした。

市場で結果が出ることや利益が出ることと、
自分たちが心から納得して誇りを持てることは、
必ずしも一致しないという現実です。

当然のことながら、会社を維持し成長させていくためには利益が必要です。

理想論や綺麗事だけでは、事業を継続することはできません。

製品の品質、適正な価格設定、日常での使いやすさ、
アンド、安定して供給し続けられるビジネス構造。

そうした現実に根差した要素を徹底的に追求することは不可欠です。

その厳しい前提を踏まえた上で、私たちが製品を選ぶ際、
絶対に譲れない基準として掲げたい問いが定まりました。

「この道具が手元にあることで、
誰かの暮らしや心が、少しでも温かく豊かになるだろうか」という問いです。

日々の生活の中にあるささやかな不便が解消されること。

これまでの日常にはなかった、心地よい時間や習慣に出会えること。
当たり前だった時間の過ごし方が、ほんの少し味わい深いものに変わること。

社会を大きく変えるような大げさなものでなくても構いません。
手に入れた瞬間の一時的な高揚感だけで終わるのではなく、
使い込むほどに暮らしの中に愛着として残っていくもの。

私たちは、そうした温もりを持った製品を世界中から探し出したいと考えました。

アンド、つくり手がどのような想いでその形を生み出したのか、
どのような背景を経て作られたのかを丁寧につかみ取り、
なぜ私たちがその製品を選んだのかを、自分たちの真摯な言葉で伝えていく。

良い部分だけでなく、どのような人に向いていて、
どのような人には合わないのかという事実も含めて、
包み隠さずオープンに伝える。
ただ広く大量に売りたいわけではありません。

それを心から必要としてくれる人に、確実に届いてほしい。

私たちが人生をかけて取り組みたかったのは、そのような嘘のない仕事だったのです。

2026年5月18日。
私たちは、長野県軽井沢付近において
「ピュットアカンパニー株式会社」を設立いたしました。
社名にある「PYT(ピュット)」は、デンマークの人々に愛されている言葉です。

思いがけない失敗や、自分の思い通りに進まない出来事に直面したとき、
それらを必要以上に引きずって自分を責めることなく、
しなやかに気持ちを切り替えるときに使われる豊かな言葉です。

日本語のニュアンスで言えば、
「まあ、いいか」と微笑みながら前を向くような、おおらかな感覚に近いかもしれません。

そして「Accompany(アカンパニー)」には、
相手の隣に寄り添い、歩みをともにする伴走者であるという意味が込められています。

振り返ってみれば、私達自身の歩みも、
決して器用で順風満帆なものではありませんでした。

志を持って始めた塾を自ら閉じたり、
長期間かけて積み上げた国際的な交渉を途中で手放したり。

世間が思い描くようなスマートな成功ロードとは、
ずいぶん離れた場所を遠回りしながら歩んできました。

けれど、立ち止まっても、また新しい一歩を踏み出せばいい。

道が行き止まりなら、別の道を自分たちの足で探してみればいい。

そのように肩の力を抜き、気持ちを切り替えてしなやかに生きていく姿勢こそ、
多忙な現代の暮らしにおいて最も必要な価値なのではないかと感じています。

毎日を懸命に生きている人が、ふっと肩の力を抜くことができるように。

慌ただしい日々の流れの中で、自分自身を取り戻す時間を持てるように。
私たちが世界から見つけて届ける製品が、
そんな穏やかなきっかけになれたらと願っています。

私たちの会社は、家族で立ち上げた小さな存在です。

現時点で取り扱える商品の数も、組織としてできることも、限られています。

だからこそ、手渡す一つひとつの製品を、妥協することなく丁寧に選び抜きたいと考えています。

世界には、まだ私たちが目にしたことのない優れた製品があり、
その向こう側には、それを必要として待っている誰かが必ずいます。

その両者を、誠実な言葉と情熱で結びつけていくこと。

それこそが、私たちピュットアカンパニーの目指す姿です。

最初に選んだのは、呼吸の道具でした。

世界には、驚くべき最新技術を駆使したデジタル製品や、
生活を劇的に効率化させる利便性の高いツールが溢れています。

そうした常識を覆すような発明も素晴らしいものです。

そんな世界中の選択肢の中で、私たちが日本へ届けようと心に決めた最初の製品は、
手のひらに収まる、小さな道具。
アメリカのクリエイターが生み出した「KOMUSŌ(コムソウ)」というプロダクトです。

一見すると、美しい造形のシンプルなネックレスに過ぎません。

しかし、その先端には特殊な構造を持った小さな笛が備え付けられています。

メロディを奏でるための道具ではありません。

唇にあて、ただ深くゆっくりと息を吐き出すためだけに作られた道具なのです。

私達も最初からこの製品を探し求めていたわけではありませんでした。

そもそも、日常の呼吸を整えるためにネックレスを身につけるという概念そのものが、
私たちの頭の中には存在していませんでした。

ですが、この製品が誕生したストーリーや、
開発者がどのような悩みを抱えてこの形に行き着いたのかを知るにつれ、
私たちの心は強く惹きつけられていきました。

思い返してみれば、呼吸という行為は、
私たちが生まれてから息を引き取る瞬間まで一刻も絶やすことなく続けている、
最も身近で根本的な生命活動です。
それにもかかわらず、慌ただしい日々の中で、
自分がどんな呼吸をしているかに意識を向ける時間が、一体どれほどあるでしょうか。

仕事のプレッシャーに追われているとき。

感情が波立ち、心にゆとりを失っているとき。

大切な人に、本当に伝えたい言葉を届ける直前。

人生の重大な決断を下そうとしているとき。

あの瞬間、心を落ち着かせて一呼吸置くことができていたなら。

そう悔やんだ経験は、誰の人生にもあるのではないでしょうか。

KOMUSŌは、忘れがちな自分自身の呼吸を思い出し、
今この瞬間に意識を取り戻すための、小さくも力強い道具なのです。

私たちが心を動かされたのは、笛という珍しさやデザインの美しさだけではありませんでした。

これまで自分にとって必要だと思っていなかったものが、
その背景にある物語を知ることで、自分の暮らしにも欠かせない愛おしい存在へと変わっていく。

その鮮やかな気づき体験そのものに、深く共感したのです。

これまでの職をいくつも手放し、
「私たちは一体何を社会に届けたいのか」
を愚直に問い続けてきた私たち。

その最初の答えが、この小さな道具になるとは、最初は思いもよりませんでした。

けれど今、私たちは自分たちの言葉と熱量を持って、

この製品を届けたい理由を語ることができます。

なぜ、今この時代に呼吸なのか。

なぜ、小さな笛という形なのか。

なぜ、肌身離さず身につけるネックレスなのか。

そして、なぜ私たちがこの製品を日本の人々に届けるべきだと確信したのか。

その答えのすべては、この小さな道具が生まれることとなった揺るぎない背景の中にありました。

次回は、私たちがKOMUSŌという製品と運命的に出会ったプロセスについて、
詳しくお話しさせていただきます。

第2話|なぜ、私たちは呼吸の道具を選んだのか。
続く。