立ち上げの物語 第4話

前へ進むことに、夢中になりすぎていないか。

一日が終わったとき、自分のために使った時間が、ほとんどなかったことに気づく。
そんな日はないでしょうか。

仕事をする。連絡を返す。誰かの期待に応える。明日の準備をする。

一つひとつは、必要なことです。
誰かのために動くことも、目標に向かって努力することも、大切にしたいことです。
ただ、やるべきことを終えるのに精いっぱいで、自分が何を感じているのかを、後回しにしていませんか。

私たちが気になっているのは、そんな日々です。

2026年6月、総務省情報通信政策研究所が公表した調査によると、全年代のインターネット利用時間は、平日1日平均183.9分でした。約3時間です。

この数字を、問題だと言いたいわけではありません。
私たち自身も、その恩恵を受けています。

ただ、画面を閉じても、頭の中では次の予定を考えている。
休んでいるつもりでも、何かを気にしている。
そんな時間が、いつの間にか当たり前になっていないでしょうか。

私たちが、それぞれの場所で見てきたこと。

共同経営者の妻は、福祉の現場で20年、人の暮らしに向き合ってきました。

親の期待に応えたい。その感情を最優先して、生きてきた。そんな声を聞いたこともあります。

私は、高校の教室で、そして塾で、こどもたちの進路に向き合ってきました。

自分が描いていた未来より、周りから『すごい』と言われる未来へ、いつの間にか進んでいる。自分でも、それに気づいていながら。そんなこどもたちをたくさんみてきました。

場所はちがっても、見ていた風景は似ていました。
誰もが、真面目に、前へ進もうとしている。
その真面目さが、ときに、自分を確かめる時間を削っていく。

街が、時間を大切にしている。

2026年の夏、家族でロンドンを訪れました。

着いた瞬間、何かが違うと感じました。
うまく言葉にできないまま、街を歩き始めました。
数時間後、妻と娘と話しながら、ようやく言葉になりました。

「街が、時間を大切にしているんだ」

何百年も前の石造りの建物が、当たり前のように現役で使われている。
ガラス張りのオフィスビルのすぐ隣に、17世紀の煉瓦の建物が並んでいる。
その中で、いまも人が暮らし、働き、食事をしている。

日本でも「古いものを大切に」という言葉はよく聞きます。
けれどロンドンで感じたそれは、言葉ではなく、空気として、街の中にありました。

日本では、古い建物は「老朽化」と呼ばれ、新しいものに取り替えられていきます。
効率化、合理化という名のもとに、時間の積み重ねが消えていく。
それが正しい場合もあります。
けれど、何かが失われているのも事実だと思います。

カフェの前で新聞を広げる人。公園のベンチで空を見上げる人。友人と笑いながら、ゆっくり歩く人。
まるで街全体が、深く長い呼吸をしているようでした。

ロンドンの人たちが、忙しくないわけではありません。
世界中のビジネスが動く街です。
それでも、街のリズムが違いました。

「急がない余裕」ではありません。
「急がなくても動けるちから」。
それが、あの街には宿っていました。

コーラ一本。

忘れられない出来事があります。

家族でバラ・マーケットを歩いていたとき、娘が手にしていたピザを、落としそうになりました。

とっさに私が身構えたその瞬間、隣にいた見知らぬ男性が先に反応して、「ナイスキャッチ!」と笑ってくれました。

場の空気が、ふっと和らぎました。

彼は、そこで終わりませんでした。
少し離れた店からわざわざコーラを一本買ってきて、「本当にナイスキャッチだったね」と、娘に手渡してくれたのです。

娘の顔が、ぱっと明るくなりました。

誰かに頼まれたわけでも、見返りがあるわけでもありません。
目の前の子どもが喜ぶ顔が見たかった。ただ、それだけです。

自分の人生を楽しみ、そのあまった喜びを、自然と周りにも分けている。
私はそれを、「幸せにするちから」と呼ぶことにしました。

第3話で書いた「幸せのちから」は、ここにつながっています。
自分の立つ場所に戻ってこられる人は、あまった分を、誰かに分けられる。

日本に帰ってから、しばらくあのコーラ一本のことを考え続けました。
あの小さな行動が、なぜこれほど記憶に残るのか。
おそらく、日常ではあまり出会えないからです。

日本の朝を、思い返す。

日本の朝のラッシュアワー。
肩がぶつかり合い、誰もが前だけを見て、一秒でも早く着こうとする、あの張り詰めた時間です。

どちらが良いと言いたいのではありません。
日本には、丁寧な仕事があります。人を思いやる文化があります。一つのものを長い時間をかけて磨き上げる、ものづくりの力があります。
私たちは、その良さを大切にしたい。

ただ、先へ進むことに集中していると、大切にしていたものが、いつの間にか後回しになる。
仕事も、暮らしも、人との関係も。

周囲に合わせることを優先しすぎたり、失敗を避けることに気を取られたりして、自分の考えを確かめる余裕がなくなる。
それは、日本だけの問題ではないでしょう。
私たち自身も、例外ではありません。

だから、社会に向かって「立ち止まりましょう」と呼びかけるだけでは、十分ではないと思っています。

必要なのは、立ち止まることを特別な行為にしないこと。
何かを成し遂げたあとだけではなく、何かを始める前にも。
疲れ切ったときだけではなく、いつもの日常の中にも。

急がなくても動けるちからは、その小さな時間から育つのだと思います。

立ち止まることは、前進をやめることではありません。
自分がどこへ向かうのかを、確かめることです。

小さな会社に、できること。

私たちは、軽井沢の隣町、長野県御代田町で始まった小さな会社です。

社会全体の仕組みを変えられるわけではありません。
誰かの暮らしを、こちらの考えだけで変えられるとも思っていません。

それでも、いつもの日常に、自分を確かめるための選択肢を一つ置くことはできる。
使うかどうかも、どう使うかも、その人自身に委ねながら。

コーラ一本のように。
小さくて、見返りのない、けれど誰かの一日をかえる何かを。

では、その小さな時間を、どんな道具が支えるのか。

次回は、私たちが最初に選んだ道具について、詳しくお話しします。

第5話|KOMUSŌを、解剖する。
続く。